校長講話 3学期終業式
皆さん、おはようございます。先日の卒業式で、3年前までの新型コロナの話を式辞に入れました。今日はそこでは触れなかった話をします。
6年前の3月からの新型コロナによって、それまで「当たり前」だと思っていた日常が、実は「当たり前」ではなかったのだということに、私たちは気づかされました。
食事が取れるのは当たり前、健康でいられるのは当たり前、友達と仲良くできるのは当たり前、いつでも自由に外出できるのは当たり前、などなど。しかし、普段とは異なる困難な状況に置かれると、実はそういったことが必ずしも「当たり前」ではないのだと気づかされます。新型コロナがそうでした。
「当たり前」ではないことを何と言うか知っていますか? 「当たり前」の対義語、反対語は何だか分かりますか? 「当たり前」の対義語、反対語、それは「有り難い」です。そう、お礼の言葉「ありがとう」の語源です。「有り難い」は、そもそも「存在することが困難だ」という意味であり、言い換えると「滅多にない」ということです。「滅多にない」良いことを他人からして貰ったときに返す言葉が「ありがとう」なのです。
普段は「当たり前」だと思っていたことが、困難な状況に陥ると、実は「有り難い」ことだったのだと改めて気づかされます。食べ物に困らず食事が取れて「有り難い」、不慮の事故や病魔に襲われることなく健康でいられて「有り難い」、いじめたりいじめられたりせずに友達と仲良くできて「有り難い」、空からの爆撃を恐れずにいつでも自由に外出できて「有り難い」。
日常生活が実は「有り難い」ことだと分かったら、その日常生活を大切に過ごしたいものです。さらには、日常生活の「当たり前」を、いつでも誰にとっても「当たり前」にできたらいいのに。感謝の気持ちを大切にするだけじゃなく、誰もが不安や恐怖を抱かずに毎日を生きられるようになればいいのに。
アフリカの人々だけじゃなく世界中の誰もが食べ物に困らないようにするには、どうしたらいいんだろう。
不慮の交通事故や新種のウィルスによる病魔に襲われることなく日本中の誰もが健康でいられるようにするには、どうしたらいいんだろう。
いじめたりいじめられたりせずに、誰もが友達と仲良くできるようにするには、自分に何ができるんだろう。
ウクライナやイランでの戦争を終わらせ、世界の何処でも人間同士による殺し合いが起こらないようにするには、どうしたらいいんだろう。
「当たり前」だと思っていたことが「有り難い」ことだと気付くのは大事なことです。でも、それだけでは自分の生活は豊かにするだけです。できれば「有り難い」ことを誰にとっても「当たり前」にしてみせたくないですか?
何十年、何百年かかるか分からない、自分が生きているうちには成し遂げられないかも知れない、でも世界中の誰もが望むだろう平和で豊かで安らかで幸せな世界に僅かでも近付くように、自分の生き方をコーディネートしてみたくないですか?
ちなみに私自身が私なりに考えて「より良い未来をつくる人間の育成」としての「学校教育」を志して、そのために進むべき方向を自分の生き方として想定したのは高校2年生の時でした。そして、そのための具体的な進路希望を抱いたのは高校3年生の時でした。
さて、明日から2週間の春休みです。皆さんが自分自身の未来をどう考えて新たな年度を迎えるのか、期待しています。そして皆さんとの再会を心から楽しみにしています。
